221kgの海と空

221kgは世界中の海と空で生息中です。でっかい世界のちっさな地図収集家。

 「素晴らしい一年でありますように」

昨年のいまごろ。着るものが変わってな

自分で言うのもなんですが、僕は人の誕生日を大切にしています。
それはなにもトランク開けたらバラの花束的なやつ(って言い回し最近使ったな。まあいいや)ではなくて、直接その人に向かって「おめでとう」を言うってことです。
またまた“直接”ってのは面と向かってだけじゃなくて電話やメールなどで本人にダイレクトに祝辞を述べると、まあそういうことです。FBだったらフィードじゃなくてメッセージでってことです。まあそんいうことなんですってば。
ここ最近、誕生日おめでとうの後に続く言葉に「素晴らしい一年でありますように」というのをよく見る。ヒジョーによく見る。
いや、全然いいんだけど、この言葉を見るたびになんともいえない違和感があったのだけれど、その理由を再来年のいまごろ考えてみることにしました。に先駆けて。
まあ人には人の付き合い方があるので、距離感なんてのもあるし、万人が見ているところで飛び交う祝福の言葉に価値を加えるなら、こうした願い系のひと言にも存在感があると思うようにしてるだし。
ちなみにおれも使ってました。場合によってはいまもです。「素晴らしい一年でありますように」。
だから別にどーでもいいんだけど、違和感についてちょっと考えたんだ。
その出自がどこにあるかってーと、おそらく「一年」なんだと思うんだ。
「素晴らしい一年でありますように」って、向こう一年のおまいさんに降りかかるいろいろな“素晴らし”さを今日この日さえ祈っておけばオッケー、に聞こえるんだな。年始だったらまだわかるがなあ。しかも人が人の一年に対してその素晴らしいを祈念するやりとり、別に見たかねえんだなあ。
ただまあ朝のあいさつ「Have a good day!」と同じっちゃー同じだし、いつものごとくで考えすぎてるだけなんで、おれの違和感には特に違和感ありません。
そしてまた、みんなの一年は素晴らしいに決まっているのだからあえて言う必要がないよね、って話もしておきたい。