221kgの海と空

221kgは世界中の海と空で生息中です。でっかい世界のちっさな地図収集家。

 俯瞰鳥瞰

こんなぼくちゃんですが?

まじめな話を少々。
こないだ友達と話していたときに「自分が誇れるもの」についての話題になった。
うーむ、なんだろ。その場では即答できなかったが、あとあとになって考えてみると、オレは友達には恵まれているなあと思う。
「こんな人いない?」といわれたとき、直接、もしくは紹介してもらって、期待にそえる自信はある。
その自信は、そんな人づき合いをしている自分自身への自信にもなり、驕りにもなり、クヨクヨの原因になったりもするから楽しいのだ。
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「友達は選ぶべきか」or「万人を受け入れるべきか」という葛藤が、ある一定の周期を経て訪れている。
きっと死ぬまでそのサイクルをグルグルしてるんだろうと思うが、ちなみにいまは前者だ。「学校でいじめによる自殺」なんてニュースを見ると、その思いがさらに強くなる。
“選ぶ”きっかけを初めてもらったのは、大学卒業後に入社した某BSの同期。
こいつらがまたクソつまんねーやつらでねぇ。乳臭いっていうかガキ臭いっていうか。
「こいつらと違う機会で会ってたら、きっと友達にはならなかっただろうな」と。
そして、こうして顔をつき合わせる理由は「同期だから」、ただそれだけの話だと気づいたときに「あ、別につき合う人は選んでもいいんだ」と思ったのだ。
もちろん傲慢きわまりないんじゃないかって自己嫌悪に陥りそうにもなった。
でもね、「じゃ、ま、とりあえず」って感じで“それなりに”付き合っていったら別にでかい問題も起きなかったのよ。だからそこで確信「あ、いいんだ」と。
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生粋の寂しがり屋さんであるオレは、核戦争が起こって自分ひとり生き残ったら、世界中歩き回って自分以外に誰も生存者がいないと判断した時点できっと死ぬ。
死因は「寂しすぎ」。
間違いないね。自殺は当然のことながらするべきじゃない、「親より先に」ってのは言わずもがな。
でも“この先”が見えなくなった時点で覚悟は決めるだろうな。とことんまで行ったら。
その“とことん”の位置をできるだけ高く(遠く)するために毎日を生きているのではないかと思うわけですよ。
んで、結局そこまでたどり着かないままでお迎えが来るのが幸せなんじゃーないかと。