221kgの海と空

221kgは世界中の海と空で生息中です。でっかい世界のちっさな地図収集家。

 おれは住まない。

1年前。

先日仕事で関内に行きました。
取材後に中華街に寄って、華正樓で肉まんと月餅を買ったって話は胃袋におさめといて、その後渋谷で肉食ったって話もしゃぶしゃぶしといて、関内といえばおれのなかで以下のイメージです。
横浜のちょっと先で、スタジアムが目の前で、山下埠頭から泳げるし、マリンタワーによじ登れる。学生んとき夜中食いに行った激辛ラーメン屋はまだあるのかしら、ってイメージです。
その日、うちが向かったのは関内の山側のエリア。前述のそれらはすべて海側にあります。
ブルーライン伊勢佐木長者町駅とJRの石川町駅、そしてJRの関内駅からほぼ同距離にあるP店での取材でした。
関内駅に降りたことは何度かあるので、それじゃ芸がないとちょっと遠くなるけれど石川町から現地に向かいました。
うろうろして、まあそろそろかと、近づくにつれて、人種が変わってきました。
色で言えば灰色、茶色、黄土色。黒ではないけど、くすんだ感じのどんより感が、道行く人と路地から漂ってくるです。
これはーあれだー寿町だ。ここだったんだ。
取材後、同行した営業さんが、「なに? 初めてですか? それじゃあ一周しましょう」と、裏路地にぐいぐい入っていくもんで、こんな真昼間からノミ屋が正々堂々営業してていいんですかいいんですよってな具合に。
仕事柄、一部上場企業から町工場まで、幅広くいろいろな業種・職種の方々にお会いしますが、
高い給料はいらない、やりがいなんぞ犬に食わせろ、寮がある住むところがあるってのが一番のポイントなんだよって会社もある。
需要ってのは、その人が死なないかぎり、いつどこにでもあるんだってことに気づかされました。そこに暮らす人たちとの比較ではなく、とても前向きな気持ちになれたよ。死んでもここには堕ちたくないがな。
港湾・荷役の仕事に従事している人たちを中心に発展した横浜寿町を背中に海側エリアに向かうと、なんだかやたらときらびやかな、いわゆる明治初期の西欧文化を意識しました的な建物・道路のつくりが鼻につくのです。覆い隠し方に強い違和感をおぼえるのです。
そんな闊歩でした。