終戦記念日の今日、昼過ぎ、目をつぶった。
だいたいの感覚で、1分ほど目をつぶった。
靖国の方角など意識せずに、
普段仕事しているPC前で、
なんの面白みもないデザインをした椅子に座って目をつぶった。
昼過ぎ、両親が来た。孫と楽しそうに遊んで帰っていった。
夜に親父からメールが来た。日中にうちで撮った写真をさっそく送ってきた。
来週末は兄貴の結婚式がある。
式の間ぐらいは孫を主役にしないで、
兄貴そしてお嫁さんに花を持たせてやれよと、
冗談半分本気半分でそう思う。
さて仕事でもするかと、
なんの面白みもないデザインをした椅子に座ってPCに向かった。
ブラウザを開くと、Facebook上でやたらとシェアされている記事があることに気づいた。
糸井重里氏が主宰する、ほぼ日刊イトイ新聞のコンテンツだ。
ちょっと長いけれど、ぜひ読んでください。
僕はダメでした。
がまんしようとしたけれど、
べつにがまんする必要はないのだろうけど、ダメでした。
そこにいたこどもが、いなくなる。
昨日のいまごろ笑っていたこどもが、いなくなる
想像しただけで、
この文章を(おそらく泣きながら)書いた永田氏が、
写真をみて、感じた、“圧倒的な悲しみ”が伝わってきた。ダメでした。
人それぞれの、あの震災がある。
いいも悪いも西も東もない。
それはそれでいいのだと思う。
その後の関わり方とか関わらなさ方とか、
人それぞれでいいと思っている。
だけど、僕は、
あの震災が発生した時代に生きていたという証がほしい。
時間があれば被災地に手伝いにいきたいし、
お金があれば寄付をしたい。
時間がなくて手伝いにいけなければ、
これは立派だという活動をしている人を通して、寄付ぐらいはしたい。
この、したいという気持ちは、
飲み屋にいって鶏の唐揚げを頼みたい、とか、
受けたはいいけどこの仕事さっさと終わらせたい、とか、
常日頃身の回りに転がっている“したい”と同じ類のものだ。
それでいいんじゃないかなと思っている。
時間があれば、お金をかけて、
現地を行ったり来たりする友人の姿に、
後ろめたさなどはほんのちょっとしか感じない。
でも、今日この記事を読んで、
ゴルフのいくのと、飲み屋にいくのと、被災地にいくのを並列にして、
いけない理由をつけて、足を動かしていなかった自分を、いつもより少しだけ恥じた。
恥じたぶん、冷静になれた。
物事には優先順位がある。
人によっては、それを言い訳とする人もいる。
僕のいまの優先順位のトップは、家族だ。
その家族を、あの震災でなくした人の話を読んで、涙を流した。
家内がちゃちゃっとダンボールに書いたこの絵が、
遺品だの想い出の品だのと呼ばれるものになったら
きっと心が壊れるだろうなと、涙があふれでてきた。
そんな話。
67回目の終戦記念日の夜、泣いたっていう話。