221kgの海と空

221kgは世界中の海と空で生息中です。でっかい世界のちっさな地図収集家。

 ばあちゃんの話

世代間

今日は実父母の結婚記念日である。
“いーふーふ”の日である。
さらには先日法事をおこなった祖母の命日でもある。
てごわい姑であったである。孫にはやさしかった気がする。
奇しくも同じ日、そしてしばらくは忘れえぬ日であることはまちがいない。


記憶というのは断片的なものである。
「うーん、去年末ってなにやってたっけ……あ、そうそう。仲間内でゴルフいってたわ」
ってのは覚えていても、
いったん解散してからもう一回集まって軽く忘年会みたいなことした居酒屋の注文がなかなか通らなくてやきもきしたっけなあ、なんてことまで覚えているのは稀である。
これはまだ去年末の話だから出てくるのである。
生まれて初めていった居酒屋の記憶など、ないである。


記憶の倉庫の片隅に転がっているのはたいへんに切れっ端である。拾い集めるのは困難で、パッと目につくのは派手な色したそれである。
手を伸ばしやすいか否かにはそれなりの理由があって、振り絞りやすいか否かにも理由があるはずである。
断片化著しいのはいたしかたない。年々アレがアレするからである。だがしかし、それを運命だと100%受け入れてしまうのもおもしろくなく、一つ一つの欠片を意識的に磨くのはけっして悪いことでないとおもっているである。


おれが小学校低学年(だったとおもう)のある日曜日、朝イチに母ちゃんが腹痛をうったえ救急車で運ばれていった。
父ちゃんは付き添って病院へ、兄貴とおれはばあちゃんをはさんで縁側から庭を眺めていた。
それまでの話か、いまの話か、これからの話か、兄貴とおれにどんな話をしてくれたのかまったく覚えていないけど、肩に手を置きそのいずれかを語ってくれたんだとおもう。



平成11年11月22日、病院にお見舞いにいった帰り、兄貴を最寄り駅でおろして、家に戻る途中のクルマの中で、さっき別れた親父から連絡があった。
この曲が爆音でかかっていました。クルマを止めるまで爆音でした。


そういうのは覚えてる。