622(推古天皇30)年2月22日、聖徳太子が斑鳩宮で薨去した。
聖徳太子ゆかりの広隆寺・法隆寺(3月22日)・四天王寺(4月22日)等では聖徳太子の遺徳を偲ぶ法会が行われる。
推古天皇30年2月22日という忌日は『上宮聖徳法王帝説』に記述されている日づけであり、『日本書紀』では推古天皇29年2月5日となっている。
まず、「薨去」とは何と読みどういう意味なのか。
- こう‐きょ【薨去】
- [名](スル)皇族または三位(さんみ)以上の貴人の死去すること。薨逝(こうせい)。
だそうだ。勉強になったね、うん。俺も知らんかった。
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もとい、聖徳太子ですよ。10人の話を一度に聞き分けちゃった聞き分けのない坊主ですよ。旧1000円札の彼。
オレの中での聖徳太子さんは『日出処の天子』(山岸涼子)だからねえ。
どっちかってーとすんげえモノノケ。超能力者。エスパー魔美。