1868(明治元)年8月23日、戊辰戦争で会津藩の白虎隊が城下の飯盛山で自刃した。
会津藩では軍を年齢により白虎・朱雀・青龍・玄武の4つの班に分けており、最年少の白虎隊は16歳から17歳までの少年で編成されていた。
この日、飯盛山にいた白虎隊の二番士中隊員が、城下の町に火の手が上がったのを会津落が落城したものと思い、16人の隊員全員が自刃した。
あれ? たしかひとり生き残ったよな??? と思って調べてみたらいたいた、飯沼貞吉。それから半年は死にたがっただろう。
松平容保ってのは会津藩のボスだったわけだが、孝明天皇に付き従ってみれば慶喜から嫌われ、結局倒幕派が官軍となってしまった以上どーすることもできずに逆賊として明治時代を迎えたのだな。
デキた人だったみたいだけどね、身体はそれほど強くなかったらしい。
生まれた時代の皮肉さを感じる。オレも感じる。受け入れてはいるが。